時代に咲いた花 2019.12

テレサ・テン(下)

21歳で日本デビュー、夢の紅白出場も果たす
国境を越えた歌は民主化を望む中国にも届いた

 1970年代、アイドル歌手が次々と出現し、音楽業界が急成長していた中、アジアンポップスの高まりをとらえた日本ポリドールレコードは、「アジアの歌姫」を探していました。そこで目に留まったのが中華圏で人気を博していたテレサ・テン(鄧麗君/デンリージュン)でした。
 当初は日本進出に乗り気でなかったテレサも、日本側の熱意に動かされてチャレンジを決意。ショービジネスの先進国で学び、自分を磨きたいという向上心も背中を押しました。こうして1974年、満を持して来日し、21歳のときにポップス調の『今夜かしら明日かしら』をリリース。3万枚出したレコードの販売数は期待ほど伸びず、ほろ苦いデビューとなりました。
 しかし、心配は杞憂に終わります。演歌・歌謡曲路線への転向を試みた2作目のシングル『空港』が大ヒット。別れを決めた女の哀愁を歌い上げた曲は70万枚以上を売り上げ、レコード大賞新人賞に輝いたテレサ・テンの名はたちまち日本中に知れわたります。
 日本での芸能活動に手ごたえを感じたテレサでしたが、台湾や香港とは異なる業界のシステムに戸惑うこともありました。母国ではトップスターでも、日本では新人扱い。有力な芸能プロダクションに所属し、各業界とのパイプを築くため、挨拶回りや営業もこなさなければならず、選曲の自由もなかったのです。

※続きは2019年12月号本誌にて。
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