時代に咲いた花 2019.08

米沢富美子(下)

娘3人を出産して育児と研究を両立させ
女性として初めて日本物理学会会長に就任

 京大大学院修士課程に進んだ富美子に、思いもよらない展開が待っていました。証券会社に勤める夫・允晴が1年間、留学生としてロンドンに派遣されることになったのです。条件は単身赴任で妻の同伴はなし。渡航費は夫の年収に等しく、とても会いに行けません。夫恋しさから富美子がとった行動は驚くべきものでした。
 イギリスにあるあらゆる大学の学長宛に、「貴大学で物理を勉強したいので、奨学金をいただきたい」と手紙を出したところ、30校中2校から返事があり、授業料に加え寮費と食費も免除、さらに幾ばくかの奨学金を支給するという夢のような条件で、昭和38(1963)年秋、イギリス中部にあるキール大学へ留学するのです。
 量子化学の分野で世界的に著名なロイ・マクウィーニ教授の下、「窒素分子の電子状態」という新しい分野の研究に挑み、教授と共著で論文2編を書いたほか、単独研究をまとめた論文が専門誌に採択されるなど、多くの収穫を得て1年後、日本に帰国しました。
 京大大学院博士課程2年に復学した富美子は、博士論文を仕上げ、学位取得を待つ間に長女を出産するという離れ業をやってのけます。しかしそこにいたるまでの苦労は並大抵のものではありませんでした。
 結婚直後の最初の妊娠で胞状奇胎が判明。子宮壁に浸透したがん細胞が母体を脅かす深刻な事態にありながら、子宮の摘出を拒み、苦しい治療を経て奇跡的に生還したのです。結婚から5年目、ようやく授かった娘はまさに夫婦の宝でした。その2カ月後、富美子に博士号が与えられ、二重の喜びとなりました。

※続きは2019年8月号本誌にて。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る