時代に咲いた花 2019.07

米沢富美子(上)

「アモルファスの研究」で国際的に知られ
日本の女性科学者の草分けとなった物理学者

 人生は楽しんだ者が勝ち。人に与えられるのを待つのではなく、「こう」と決めたら自分で獲得する。そう語っていた物理学者の米沢富美子。国際舞台で活躍し、女性科学者の道を切り開いた先駆者は、科学の楽しさだけでなく、生きる喜びも多くの人に伝えました。
 昭和13(1938)年10月19日、富美子は24歳の父奥武文と20歳の母敏子の長女として大阪府吹田市に生まれました。武文は長崎出身で、敏子とは野村證券大阪本社で社内結婚でした。多趣味で新しいもの好きの父と、当時は珍しい高等教育を受けた母。母方の祖父母と同居して、平凡ながら幸せな家族でした。
 ところが、妹が生まれてまもなく父が召集され、富美子が2歳のときに大好きな「お父ちゃん」は家から姿を消します。その数カ月後、日本は太平洋戦争に突入するのです。
 戦時下の悲劇は多感な幼少期に暗い影を落としますが、まだ平安な日が続いていた頃、親譲りの大きな目で捉えていたのは、周りの自然現象でした。
 言葉を覚えるや富美子は「なぜ?」「どうして?」と繰り返し尋ねました。水や油のように形を持たず、流れてしまうものを何というのか……“液体”という言葉を引き出したいのに母に伝わらず、悔しい思いをしたのが最初の記憶。4歳のときに空を見て“宇宙の果て”に思いを馳せ、“時間の始まり”に疑問を抱いたというから、才女の片鱗がうかがえます。刻々と形を変える入道雲、太陽の下で虹色にきらめくシャボン玉……その仕組みを知りたくてうずうずしていました。
 
※続きは2019年7月号本誌にて。
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