時代に咲いた花 2019.06

エミリー・カー(下)

斬新な画法でカナダの大自然を描き
晩年には先住民の優れた物語も著した

 1907年、アラスカを訪ねたエミリー・カーは、先住民の村にそびえ立つトーテム・ポールを初めて目にします。言葉のかわりに象徴的な紋章で神話や伝説、一族の歴史を伝えてきた先住民。精神の発露のままに表現された彼らの芸術は、エミリーの視野を広げ、形式的な窮屈さから解放しました。そして、失われつつある先住民の文化遺産を描くことに、使命感を抱くようになるのです。
 作品のモチーフを発見したエミリーは、芸術を極めるべく独断でパリ行きを決め、家族の困惑をよそに1910年、再び欧州に渡ります。パリで花開いていたアールヌーヴォー(新しい芸術)は、まさに求めていたもので、大胆な色彩、歪曲された遠近法、高揚したリズムや構図のすべてが新鮮でした。
 芸術家の中心地、モンパルナス地区に居を構え、ロダン、ゴッホ、ゴーギャンなども学んだ美術学校アカデミー・コラローシに入学した彼女は、最年長の38歳。フランス語を話せず、生徒は全員男性という環境に耐えながら、無我夢中で学びました。
 ところが、根を詰めすぎて病気になり、ロンドンの悪夢がよみがえります。「大都会を避けなければ死に至る」との医師の警告に従ってスウェーデンで療養し、小康を得てもパリには戻らず、郊外の風景画教室に加わりました。教師に才能を認められ一目置かれましたが、いっぽうで男性と対等に扱われない不満も吐露しています。
 留学の後半には初めて同性の水彩画家に師事し、師の描く明るい色彩、力強い輪郭に刺激され、風景を写すのではなく、風景から受けるインスピレーションを描くという表現法に到達します。1911年には2点の作品が新進美術家の展覧会サロン・ドートンヌに出品され、1年半に及ぶ留学で心身ともに強靭になり、自信をつけてカナダに帰国しました。
 

※続きは2019年6月号本誌にて。
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