時代に咲いた花 2017.12

相馬黒光(下)

大成功した新宿中村屋は文化人が集い
国を超えた人の縁が名物料理を生んだ

 「光あふれる才能を黒で隠しなさい」──明治女学校の校長・巖本善治から「黒光」というペンネームを授かった良(以降黒光)。そんな彼女が見合い結婚、それも信州の田舎に嫁ぐというのですから、誰もが驚きを隠せませんでした。
 明治30 (1897)年、明治女学校高等科を卒業して間もなく、兄とも師とも慕う島貫兵太夫の紹介で五つ年上の相馬愛蔵と結婚します。安曇郡白金村(現・安曇野市穂高)の旧家の三男で、東京専門学校(早稲田大学の前身)在学中に内村鑑三や押川方義らの教えを受け、卒業後は地元で伝道や禁酒運動をしながら、養蚕を研究して郷土に新しい産業を興そうと意欲に燃えていました。
 最初は田舎暮らしを喜び、夫の蚕の仕事を支えながら、良き妻、良き嫁になろうと張り切っていた黒光でしたが、次第にふさぎ込み、体調を崩すようになります。子宝にも恵まれて平穏な日々を過ごしていたにもかかわらず、「風俗習慣の違いと安易な田園生活に希望を失い、精神的苦悩から心身疲労して病気になり、行末危ぶまれる状態になった」(『一商人として』)のです。妻の衰弱ぶりを見かねた愛蔵は、病気療養のため再び上京を決断、4年間過ごした穂高に別れを告げます。
 不思議なことに東京に戻るや黒光の病は癒え、みるみる生気を取り戻します。次の問題はどうやって生計を立てるかです。勤め人は性に合わないと、夫婦で商売を始めようと考えますが、商いに関しては全くの素人です。昔からの商売では玄人に負ける。ならばまだ注目されていない新しいものにチャンスがあるのではないか。そこで目を付けたのが “パン”でした。 
 最初は日本に暮らす外国人のために製造が始まったパンは、物見高い日本人の間にも広まりつつありました。夫婦は試しに一日2食をパン食にして毎日食べ続け、パンが一時の流行に過ぎないのか、それとも一般家庭の食卓にも適するかを見極めることにしました。

※続きは2017年12月号本誌にて。
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