時代に咲いた花 2017.08

野口シカ(下)

苦労を厭わず、感謝の心で他人に尽くし
異国で奮闘する英世の無事を祈り続けた

野口シカが婿養子を迎えたのは明治5(1872)年、20歳のときでした。相手は小平潟村(こびらがたむら)の小桧山惣平(こびやま そうへい)の長男・佐代助(さよすけ)で2つ年上。根が優しく、機知に富んだ人でしたが、無類の酒好
きで、日雇いで得た金はすぐ酒代に消えました。西軍に徴用された会津戦争で、恐怖心を忘れるために覚えた酒にすっかり溺れてしまったのです。
 野口家再興の夢は破れ、夫が博打にまで手を出し田畑も失ってしまいます。それでもシカは黙って働き続けました。明治7(1874)年に生まれた女の子は、戌年にちなんで「イヌ」と名付けられ、その2年後の明治9(76)年11月9日、清作が誕生。後に世界的医学者となる野口英世です。 
 田畑の作物を売り歩き、夜中に川や湖で魚やエビを獲って朝早く商いに出かけ、家に帰ればわら仕事……。乳呑み児を抱えての貧しい暮らしでも、シカは幸福でした。自分ひとりではない、愛する子の母である。親の愛を知らずに育った彼女にとって、守るべき子供たちが生きる原動力となっていました。
 そんなある日、生涯の痛恨事が起きます。明治11(1878)年の春、子供たちを家に残して畑に出ていた間に、2歳の清作が囲炉裏に落ち、大火傷をしたのです。
 近くに医者はなく、往診を頼むにも治療費がありません。隣の鵜浦法印(うのうらほういん)に墨でまじないをし
てもらい、包帯を巻くのが精一杯で、命は助かったものの、清作の左手は木の瘤のように癒着してしまいました。
 五体満足で生まれた子を不自由な体にしてしまった──自責の念にかられたシカは、いっそう死に物狂いで働きました。手が使えないと百姓仕事はできません。息子の将来のためにも稼いでおきたいと考え、子供たちが留守番できる年齢になると、片道20キロの山坂道を、重荷を背負って運搬する仕事を始めます。男たちですら音をあげる重労働を、岩越(がんえつ)鉄道開通の直前まで、11年間続けました。
 

 ※続きは2017年8月号本誌にて。
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