時代に咲いた花 2017.06

イザベラ・バード(下)

明治13年の『日本奥地紀行』は好評で
旅行家として女性の活躍分野を広げた

 イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが日本を訪れたのは明治11(1878)年、46歳のとき。開港から19年、東京、横浜、神戸では近代化が進んでいましたが、女史の関心は、それまで白人女性が足を踏み入れたことのない日本の奥地にありました。
 勇敢な彼女は、通訳兼従者として18歳の伊藤鶴吉を雇い、日光を経由して東北、北海道へと向かいます。英国公使パークスの尽力により通交証を入手できたので、外国人の旅行が厳しく制限されていた当時でしたが、自由な行き来が許されました。
 「古いものと精緻な文明とを持つ偉大な帝国で、珍しいものがそこかしこにあり、まるでよその星に来ているようです」——イザベラにとって旅の目的は単なる観光ではなく、自らの異文化体験を“伝える”ことでした。
 衣食住はもちろん行く先々で教育、医療、伝統工芸から最先端の産業に至るまで、日本社会の実態を調査しました。秋田では田舎の結婚式に参列し、青森では子供たちの学習や遊びを観察、山形では漢方医から民間医療の話を聞くなど、イザベラはあらゆる機会をとらえ、きわめて冷静に、ときに辛らつな批評も交えながら日本を記録しました。
 旅の道中、蚤や蚊と格闘し、深夜の読経や三味線の音といった騒音に悩まされ、外国人見たさに集まる群衆に困惑もしています。イザベラを見ようと屋根の上に登った人々が重みで屋根ごと落下したり、目覚めたら部屋の障子が外されていて、80もの黒い眼に見つめられる珍道中が繰り広げられました。
 美しい日本の風景に感動し、地方農村の貧しさに衝撃を受けたイザベラは、それら一つひとつを書き留めました。それは美化された“ジパング”とは異なる、ありのままの日本の姿でした。
 数々の冒険を経て函館に到着したイザベラと伊藤は、さらに広大な原野を馬で駆け抜けて平取(びらどり)、幌別(ほろべつ)、白老(しらおい)のアイヌの村落を訪ね、村人と起居を共にします。

※続きは2017年6月号本誌にて。
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