時代に咲いた花 2017.02

エレン・スワロウ・リチャーズ(下)

「すべての人の家」である環境を守ろうと
社会運動としてエコロジーを提唱した

 アメリカ女性で最初の理学士となったエレン・スワロウは、マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業後も大学に留まり、研究を続けました。女性であるが故に役職も与えられず、給料すら支払われませんでしたが、一科学者として働けて幸せでした。
 大学当局はエレンのケースを「特例」とみなし、依然として女性の入学を正式には認めていませんでした。そこで彼女は知恵を絞り、校内の古びて使われていない建物に目をつけ、設備費を調達し無報酬で教えることを条件に、女性のための実験室を開くことを大学側に承認させたのです。
 女性教育協会の力を借りてニューイングランド中の教会、教師グループ、女権論者たちの集会で寄付を募り、苦労が実って1876年10月、女性研究所が開設されます。23人の女性が特別学生として入室、エレンは副所長に任命されました。
 1年後、女性の高等教育に懐疑的だったMITの教授たちは、女子学生が男子学生に劣らぬ学力を身につけていることを知り驚嘆します。さらに2年目も良い結果を出したことで大学側も態度を変えました。彼らが“ごみ捨て場”と呼んでいた女性研究所の建物を取り壊して新校舎を増築し、受け入れる学生の性別を問わないことを決議したのです。ついに、女性の前に科学の扉が開かれたのでした。
 後にエレンは女性たちを組織し、貧しい学生の学費を支援します。また、家庭学習奨励協会の依頼で科学部門の通信講座を受け持ち、何千もの手紙に自筆で返事を書き、かつての自分のように、田舎で台所や育児に縛られている女性たちの学習を励まします。手紙の文末は「頭を使いましょう」という言葉で結ばれていました。
 主婦たちが家事や育児に明け暮れるのを見てきたエレンは当初、独身を貫き、科学を伴侶に生きるつもりでした。しかし、MITを卒業して間もなく、同大の鉱物学教師で世界的な冶金学者であるロバート・リチャーズに求婚され、2年間「考えた」末、75年6月、32歳で結婚します。

※続きは2017年2月号本誌にて。
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