時代に咲いた花 2016.09

吉本せい(上)

大阪で夫と寄席を始め吉本興業を創立
日本一の芸能プロダクションに発展させた

 お笑い界を席巻する「吉本興業」。その歴史は百年以上前まで遡り、「女今太閤」と呼ばれたひとりの女性によって生み育てられました。女興行師、吉本せい。大阪の一寄席を日本屈指の芸能プロダクションにまで発展させ、明治、大正、昭和と激動続きの時代を、「笑い」を商売に逞しく生きた演芸界の女傑です。
 せいが生まれたのは明治22(1889)年12月5日、大日本帝国憲法が発布され、日本が東アジアで初の近代憲法を有する立憲君主国家となった年です。大阪の天神橋で米穀商を営む父林豊次郎と母ちよは子沢山で、せいは12人兄弟の4番目にあたります。大所帯のため決して裕福とはいえず、幼いうちから次々と生まれてくる弟や妹の子守りに追われていたようです。
 頭の回転が速く、尋常科4年を抜群の成績で卒業し高等科への進学を希望しますが、「女性に学問は不要」という当時の商家の慣習に阻まれ断念。義務教育を終えると花嫁修業を兼ねて北浜で「金つくりの名人」と謳われた米穀仲買人の家に奉公しました。
 利発で機転がきくせいは家事全般をそつなくこなし、先輩女中に妬まれて邪険にされても、どこ吹く風と気にも留めなかったといいます。節倹第一の奉公先の家風や、商いの世界を垣間見た環境が、後々役立とうとは、この時は知る由もありませんでした。
 そんな彼女も、数え19のときに三つ年上の吉本吉兵衛(通称・泰三)に嫁ぎます。夫婦の間に2男6女が誕生しますが、成人したのは4人のみ。吉本家は老舗の荒物問屋を営んでいましたが、日露戦争後の不景気で苦境に陥っていました。
 ところが、夫は債権者の応対を妻に任せ、家業そっちのけで好きな芸事にうつつを抜かし放蕩三昧。ひいきの芸人に入れあげて、自らも剣舞に興じて舞台にまで上がり、地方巡業に加わって大失敗。ついに5代続いた店を潰してしまうのです。
 
※続きは2016年9月号本誌にて。
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