時代に咲いた花 2016.07

人見絹枝(上)

オリンピックに日本人女性として初出場し、
陸上競技女子で銀メダルに輝いた天才アスリート

 世界的なスポーツの祭典、オリンピック。数々のドラマを生む夢の大舞台に、日本人女性として初出場しながら、陸上女子800メートルで銀メダルに輝いた天才アスリートがいます。
 人見絹枝──「女が走る」と罵られた時代、偏見と戦いながら孤軍奮闘した彼女は、大記録を次々と打ち立てて、24歳の短い人生を駆け抜けました。
 明治40(1907)年1月1日、岡山県御津郡福浜村(現・岡山市福成)の農家の次女として生まれた絹枝。幼いころから運動神経抜群で、遊び相手はいつも活発な男の子たち。近所の小川でフナやナマズを捕まえて家に持ち帰っては、「女の子が川いじりをしてどうなる。少しは算術でもしっかりしなさい」と叱られたといいます。
 小学校に入ってからも男子児童と平気でケンカする「バッサイ(方言でお転婆)」ぶりに、先生たちも手を焼いたようです。両親が期待した算術のほうは大の苦手科目で、小学校を首席で通した姉に泣く泣く教えてもらうなど、勉強よりも遊ぶほうが好きなごく普通の子供でした。
 それでも、父から進学を促されると、負けず嫌いの絹枝は猛勉強して県下の才女が集まる岡山高等女学校に合格してみせます。父・猪作は村の信望厚く、当時としては珍しい進歩的な考えを持ち、「これからの女性は学問を身につけなくてはならない」と信じていました。この年に村から同校に入学したのは絹枝ただひとり。家庭婦人としての技芸教養が第一と考えるのが一般的で、上の学校に女の子を送る親は多くなかったのです。
 入学許可書が届いた日、父は仏壇の前に娘を座らせて言いました。
 「お前を女学校に入学さしたお父さんは、いろいろの目で見られるにきまっている。しかし、家には大した金はなくとも、ただしっかり勉強すれば家中の者が喜ぶ。金を無駄にしないで、しっかり勉強するんだ」
 父から贈られたはなむけの言葉を胸に、大正9(1920)年春、岡山高女に入学した絹枝は、畑仕事をする人たちの視線を浴びながら、片道6キロの道のりを颯爽と通うのでした。

※続きは2016年7月号本誌にて。
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