時代に咲いた花 2016.02

クララ・シューマン(下)

若きブラームスの楽曲生成に多大な影響を与え
一流ピアニストとして夫の作品を演奏し続けた

 花の蕾が開くように、美しい女性へと成長していったクララ。しかし、弟子のローベルト・シューマンとの間にロマンスが芽生えたことを知った父ヴィークは激怒します。クララは当時、人気絶頂のピアニスト。それにひきかえローベルトは、才能こそあれ、生活力の乏しい夢見がちな音楽青年に過ぎません。
 ヴィークはローベルトを激しく侮辱し、家への出入りを禁じ、再び娘の前に現れたら撃ち殺すと脅迫。会うことはおろか手紙すら交わせず、友人を介して秘密裏に文通を再開したのは1年半後。変わらぬ想いを確認したローベルトはクララ18歳の誕生日に正式に結婚を申し込みますが、認められませんでした。
 ローベルトにとっては尊敬する師であり、クララに至っては芸術の目を開かせ、全身全霊で支えてくれる父です。2人はヴィークの執拗な嫌がらせに苦しみながら、彼への感謝と愛を完全に断ち切ることもできず、心は千々に乱れます。
 
 そんななかでも、クララは音楽家として円熟期を迎えようとしていました。1837年のウィーン演奏旅行はセンセーションを巻き起こし、ライバルたちを圧倒。市民は切符売り場に殺到し、『クララを聴くこと』が流行になるほどでした。
 彼女は当時の好みに合わせて、ショパンやリスト、メンデルスゾーンといったロマン派の作曲家たちの作品を中心に、馴染みの少ないバッハやベートーヴェンの曲も大胆に取り入れ、聴衆を熱狂の渦へと巻き込んでいったのです。
 翌年、外国人でありながらハプスブルク家の帝室宮廷音楽家に叙せられ、最高の栄誉に輝きました。
 一方で結婚を巡る父と娘の溝は深まるばかりでした。クララを反省させようと、ヴィークがパリの演奏旅行に付き添うことを拒否したため、未知の都会でたったひとり、売り込みから契約、管弦楽団との交渉、住まいの手配までしなければなりませんでした。しかし、そんなパリでの経験が、父に頼りきっていたクララに自信を与え、自立する契機となったのです。
 2人は、最終手段として裁判所に控訴。誹謗中傷や妨害も効をなさず、ヴィークの異議申し立ては却下され、結婚許可書を手にした1840年、クララ21歳の誕生日の前日に愛を実らせたのです。

※続きは2016年2月号本誌にて。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る