時代に咲いた花 2016.01

クララ・シューマン(上)

ドイツロマン派の巨匠シューマンの妻で
初の世界的女流ピアニストとなった女性

 19世紀のヨーロッパ音楽界に咲いた一輪の名花、クララ・シューマン。ドイツ・ロマン主義の巨匠ローベルト・シューマンの妻であり、作曲家ヨハネス・ブラームスの音楽人生を支えた女性として広く知られています。しかし、彼女自身も、世界初の女流ピアニストとして世界的に大成功を収めた芸術家であったことを知る人は多くありません。
 音楽と愛に全人生を捧げたクララ。美しく奏でられるピアノの調べとは裏腹に、その生涯は苦難に満ちていました。

 1819年9月13日、ドイツの音楽都市ライプツィヒでひとりの女の子が誕生しました。「クララ(光り輝く者)」と名づけられたその娘は、父フリードリヒ・ヴィークにとって、まさに輝かしい栄光をもたらす光そのものでした。
 ヴィークは貧しい商家に生まれながら、音楽に傾倒し、ほぼ独学でピアノを習得。大望を抱いてライプツィヒで楽譜・音楽書店を開き、ピアノ教師としても優れた能力を発揮しました。30歳で門下生のひとり、19歳のマリアンネ・トロムリッツと結婚し、5人の子供をもうけますが、最初の子は育たず、次に生まれたのがクララでした。マリアンネも演奏会ピアニスト、歌手としてかなりの実力者で、家庭を切り盛りし、夫の商売を手伝いながら、舞台にも立っていました。
 遺伝的にも環境にも恵まれた幼女は、誕生の瞬間から将来を約束されていました。野心家の父は、自ら考案した教
メ ソッド育法を娘に実践し、偉大なピアノの名手に育てるべく徹底した英才教育を施したのです。
 
 ヴィーク家では両親の職業柄、常に歌とピアノの響きに囲まれていて、クララは4歳にして耳で聞き覚えたいくつかの小曲を弾くことができたといいます。いっぽうで「私の耳は人の言葉より音楽に敏感になっていた」と日記にあるように、言葉の発達が非常に遅れ、ようやく話せるようになったのが8歳。クラらにとっては音楽こそが、心にもっとも寄り添う言葉であり、自然な表現法だったのです。

※続きは2016年1月号本誌にて。
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