時代に咲いた花 2015.9

河井 道(下)

日本YWCA総幹事として活躍し、関東大震災では救援活動に邁進
国際的視野で平和をつくる女子教育を目指し恵泉女学園を創設
戦後、GHQの准将に日本人の天皇への思いを伝え、排除を阻止した

ゆりと日本YWCAを支え
キリスト教運動の指導者に

 愛と信仰で結ばれた教え子の渡辺ゆりを、アーラム大学に送り出して4年目の大正4(1915)年、河井道もまた、YWCA全米幹部養成所で1年間の研修を受けました。米国滞在中、積極的に取り組んだのが、日系移民女性の実態調査でした。その当時、明治維新後に海外移民した男性たちのもとに嫁ぐため、日本の農村出身の花嫁たちが次々と海を渡って来ていたのです。
 道は帰国後、そうした日本女性のために渡米婦人講習所を横浜に開設し、生活習慣や簡単な英会話、移民する際の心構えを説き、大正13(1924)年にアメリカで排日移民法案が可決されるまで活動を続けました。
 道とゆりは一心同体になって社会教育活動に邁進します。道は津田英学塾教授を辞任して日本YWCA総幹事となり、ゆりは学生部幹事として献身的に働きました。目指すは海外の支援に頼らない、組織の自立。運動を根付かせるには、会員一人ひとりの自覚と責任が何より大事と考えたからです。
 各地に支部が設立され、夏季修養会の開催や機関誌の執筆、全国講演など多忙を極めました。大正7(1918)年にはロシア極東のウラジオストクを訪ね、第一次世界大戦で悲惨な状況にいる日本人避難者を視察し、YWCAを通して救援物資を支援。その2年後に招かれた米国総会では国際的結束を呼びかけ、霊感あふれるスピーチは、「フレーミング・スピリット」(燃える魂)と評されました。
 道はその足でヨーロッパ大会に向かい、戦争終結直後の緊張感漂うなか、敵国同士だったフランスとドイツの代表が信仰によって許し合い、固い握手を交わす感動的な光景に立ち合います。道は世界学生キリスト教連盟(WSCF)初の女性副議長に選出され、世界的青年指導者の期待の星となっていきました。

48歳で女学園創設を志し
世界の女子教育を視察

 大正12(1923)年9月1日、関東大震災に遭遇すると、急遽立ち上げられた「東京連合婦人会」の初代議長を引き受け、牛乳の配給や生活必需品の調達にと、寝食を忘れて救護に駆け回りました。非常時における女性たちの活躍は目覚しく、信仰、思想、性別、各々の立場を超えて復興に取り組みました。

※続きは2015年9月号本誌にて。
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