時代に咲いた花 2015.5

美空ひばり(上)

9歳の四国巡業で事故に遭い死にかけたひばりは
奇跡の回復後、その町にある日本一の大杉を訪ねて
「必ず日本一の歌手になります」と誓いを立てた

 日本歌謡界の女王として語り継がれる伝説の歌姫、美空ひばり。戦後の混乱期にきら星のごとく現れ、圧巻の歌唱力で大衆を魅了した少女は、歌にすべてを捧げました。数々のヒット曲を放ち、銀幕スターとして多数の映画にも出演。しかし、華やかな芸能生活の裏には、人知れぬ苦難と波瀾万丈の人生がありました。

芸事好きの父母のもと
歌の天才少女と評判に

 美空ひばりは昭和12(1937)年5月29日、横浜市磯子区滝頭町の屋根なし市場で魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉と母・喜美枝の長女として生まれました。本名加藤和枝。その2カ月後には日中戦争が始まりますが、若夫婦にとっては遠い地の出来事で、魚を売りさばく父の威勢いい声と、母が口ずさむ歌を子守歌に、赤ん坊はすくすくと成長します。
 増吉はギターを手に流行歌はもちろん、浪曲、どどいつ、端歌まで玄人並。生粋の江戸っ子だった喜美枝も唄と芸事が大好きで、少女の頃は女優志望だったほど。両親の資質を受け継いだ和枝は、音楽に囲まれた環境の中で、早くから天性の才能を開花させていくのです。
 和枝が3歳のとき、巷で百人一首が大流行すると、流行に敏感な増吉は仲間を集めて百人一首の会を立ち上げ、魚増の店内は朝から晩まで百人一首の声が飛び交っていました。それを聞いていた幼女が、ほとんどの句をそらんじてしまったので周囲はびっくり。娘の才能に歓喜した父が、口うつしで民謡や流行歌を教えると、和枝はすぐに覚え、大人顔負けの節まわしで歌うのでした。
 物心つく頃にはお菓子や絵本よりもレコードを欲しがり、蓄音機の前を離れようとしなかったといいます。本格的な音楽教育を受けたことは一度もありませんでしたが、耳元にはつねに音楽が鳴り響き、暮らしは歌で溢れていました。
 最初の先生だった父が太平洋戦争に応召されたとき、壮行会で6歳の和枝が軍国歌謡『九段の母』を完璧に歌い上げると、居合わせた人たちは涙を流して聴き入ったといいます。・・・

※続きは2015年5月号にて。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る