時代に咲いた花 2015.11

四ケ所ヨシ(中)

アマゾンの病院が閉鎖になって帰国
次にフィリピンの病院に勤め日本人と結婚
2児を授かるが従軍看護婦に徴用され中国へ

アマゾンの病院の看護婦に
ポルトガル語を猛勉強して

 2カ月を超える船旅の末、昭和6(1931)年11月にリオデジャネイロに到着した四ケ所ヨシ。南米拓殖株式会社の看護婦として派遣されましたが、滞在中はロックフェラー財団が運営する熱帯病研究所の嘱託も兼ねることになっていました。かつて野口英世も同医学研究所の研究員であったため、出発前には野口の生家を訪ねており、同じ日本人として身の引き締まる思いだったことでしょう。
 入植者たちの健康管理と治療に当たるため、ヨシは再び数十日かけて船で北上、南拓の移民収容所があるベレンの町を経由して、さらに奥地のメアスーに上陸しました。案内された中央病院はベッド数20ほど、看護婦はヨシだけで、電気も使えないため明かりはランプとろうそく、月と星の光のみ。未開の地で贅沢など言ってはおられず、とにかくやるしかありません。
 開墾を急ぐ日本人入植者たちは、よほど病気が悪化しない限り、遠くの病院まで来ようとしないので、赴任当初の患者はもっぱら現地の労働者たちでした。
 ところが、ヨシはポルトガル語が分からないため、彼らの訴えを理解できません。当てずっぽうで薬を出していたため、ブラジル人医師に叱られます。そこで勝気な彼女は仮病を装って3日3晩部屋にこもり、日ポ辞書を引きながら猛勉強。その後の診察では医学用語を正確に使い、医師を見返してみせました。

独学で立派な助産師に
3代目婦長として活躍

 人手の少ないアマゾンの病院ですから、看護婦は何でもこなさないといけません。産科はまったく専門外でしたが、助産婦の必読本『白木助産学』を懸命に読み、現場で実践しながら学びました。
 最初は恐怖で介助もままなりませんでしたが、そのうちすっかり度胸がつき、アラカ地区で診察に当たった4年間で取り上げた赤ん坊は二百数十人に及んだといいます。名助産婦との噂が立ち、出産の時刻を8時とぴたりと当てたとして「アゴスト・パルティーラ(8時の助産婦)」と地元新聞に取り報じられ、一躍有名人になりました。

※続きは2015年11月号本誌にて。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る