友好の橋 2019.10

ドイツ連邦共和国
Federal Republic of Germany

「君が代」を編曲した軍楽家エッケルト
20年にわたり日本で西洋音楽教育に携わる

日本は鎖国を経て明治になると一転して西洋の技術、学問、制度を取り入れ、近代国家を作ることに心血を注ぎ始めます。最初に「国歌の必要性」を指摘したのは、薩摩藩の軍楽隊の教師になったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンでした。

★不評だった最初の君が代

 ところが、フェントンの「君が代」は日本人の感性に合わず、大変不評だったそうです。そこで海軍軍楽隊から宮内省雅楽課に依頼があり、宮内庁の伶人(楽人)が作曲した旋律を元に、ドイツ人のフランツ・エッケルトが吹奏楽用に編曲しました。これが、今私たちが耳にしている「君が代」として1880年に選定されています。
 この歌詞は、10世紀初頭の勅撰和歌集『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌を初出としています。世界最古の国歌はオランダの国歌で、400年以上も前のものですが、「君が代」は、世界最古の歌詞を持つ国歌ということができます。
 エッケルトは、ドイツ(当時プロイセン)の軍楽家で、1879年、依頼を受けて27歳で海軍軍楽部に奉職しました。最初は2年間の契約でしたが、以後約20年間にわたって日本にとどまり、西洋音楽教育機関のほとんどに関わりました。
 エッケルトは「君が代」を編曲した当時の談話の中で以下のように述べています。「日本の国体を考えるならば「君が代」の発声たる「きみがよ」の部分は男子たると女子たると日本人たると外国人たるを問わず、二人でも三人でも百人でも、たとえ千万人集まって歌おうとも、いかほど多数の異なった楽器で合奏するにしても、単一の音をもってしたい。ここに複雑な音を入れることは、声は和してもなんとなく面白くない。日本の国体にあわぬような気がする」。

★1888年に各条約国に送付

 この発言からは、いかにエッケルトが日本という国を理解しようと努めたかを窺い知ることができます。
 宮内庁保管のエッケルトの自筆楽譜には「1880年10月25日完成」とあります。88年には海軍省から各条約国に「大日本禮式」の題名でその楽譜が送付されました。
 エッケルトは日本での任務が終了するといったんドイツに帰国しますが、その後、当時の大韓帝国(李氏朝鮮)に渡り、「大韓帝国愛国歌」を作曲(編曲、諸説あり)、そこで人生の幕を閉じました。  

※詳細は2019年10月号本誌にて。
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