友好の橋 2019.02

フランス共和国
French Republic

アール・ヌーヴォーを代表する工芸家エミール・ガレ
ジャポニスムが深く影響

             
 19世紀末、幕末の開国に伴いたくさんの美術品がヨーロッパに渡りました。その独特な色使いや構図は「ジャポニスム」という一大ブームを巻き起こし、ヨーロッパの絵画、彫刻、陶器、ガラス、建築などに深く影響を及ぼしました。そこから誕生した国際的な芸術運動が「アール・ヌーヴォー」です。この時期、フランス東北部ナンシーでガラスと陶器の創作を始めたのがエミール・ガレです。

★パリ万博で日本美術に触れ衝撃

 ガレは1846年、ナンシーで生まれ、父親はガラス器や陶器の製造、販売業を営んでいました。21歳の時、パリ万博で日本美術に触れ、大きな衝撃を受けます。初期の作品の多くに、葛飾北斎など日本美術からのモチーフの転用がみられますが、鯉を大胆にあしらった「鯉文花器」(写真)などはその典型です。日本美術に対する認識はまだ表面的だったと言えます。
 1880年代、30代半ばになると作風に大きな変化が見られるようになります。ちょうどこの頃、後に高島北海として知られる画家が、農商務省の技師としてナンシー森林学校に留学していました。高島はナンシーで400点ほどの作品を描き、ガレはそのうち2点を譲り受けたそうです。この高島の存在がガレをはじめナンシーの芸術家たちに大きな影響を与えたのです。

★きのこ型ランプ「ひとよ茸」創作

 1890年代頃からガレは「花鳥風月」の美の虜になり、花や昆虫そのものの姿を作品にするようになります。ガレの作品は円熟期を迎え、かの有名なきのこ型のランプ「ひとよ茸」(写真)を創作します。花器「茄子」「カトレア」など、それまで西洋美術では取り扱われなかったテーマをまるで彫刻のように写実的にガラス器で表現しました。
 中でも特別なのが、ガレのシンボルにもなっている「蜻蛉」です。もともと西洋では不吉なものとして忌み嫌われ、芸術の世界に登場することがなかった蜻蛉。日本では秋の季語として使われ、益虫、勝虫と呼ばれ好まれてきました。このことから蜻蛉は、ジャポニスムの信奉者にとって、日本の象徴として広まっていったと言われています。この蜻蛉をガレは心から愛したのでした。
 ガレの詩や音楽、文学に対する教養、そして専門的に植物学を学んで得た知識、それら全てがジャポニスムという新たな美意識に触れた時、ガレのあの情緒豊かな世界が創造されたのでしょう。

※詳細は2019年2月号本誌にて。
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