友好の橋 2019.01

アメリカ合衆国
United States of America

シェアトップのナイキを築いたフィル・ナイト
日本企業が創立︑存続に深く関与

 一代で世界的なスポーツ用品メーカー、ナイキを築いたフィル・ナイト。アディダスを抑えシェアトップを誇り、〝Just do it.〟のキャッチコピーは誰もが知るところです。

★ハッタリで独占販売権を獲得

 2016年に著書『SHOE DOG(シュードッグ) ──靴にすべてを』を出版、ナイキが出来た当時のことが赤裸々に書かれています。
 オレゴン州立大学の陸上選手だったナイト。スタンフォード大学ビジネススクールに進み、ここで執筆した論文が人生を変えます。「戦後ドイツが独占していたカメラ業界を日本が奪ったように、スニーカー業界でもそれが起こりうるのか」。当時ドイツのアディダスが世界1位でした。
 1962年、初来日。そこで見出したのがオニツカタイガー(後のアシックス)でした。49年創業のオニツカタイガーは、戦後荒廃した神戸の街に生まれ、64年の東京オリンピックでは陸上選手が皆タイガーの靴を履くまでに成長していました。
 ナイトは、西海岸での独占販売権がほしいと頼み込みます。当時ナイトは無職。とっさに、自分は「ブルーリボン・スポーツの代表だ」とハッタリをかまし、無事サンプルを送ってもらうことに成功します。64年、「ブルーリボン・スポーツ」を創立。300足のタイガースニーカーを発注したことがナイキの始まりでした。ナイトは車の荷台に靴箱を詰め、陸上競技会に足を運んではタイガースニーカーを売りさばくという日々を送ったのです。

★2度の窮地救った日商岩井

 以後2度、資金繰りで窮地に追い込まれますが、それを救ってきたのが日商岩井(後の双日株式会社)でした。71年、当時まだ社員30名ほどの小さな会社でしたが、日商岩井ポートランド支店の担当者はその可能性を信じて、地元の銀行が見捨てたナイキの負債を全額肩代わりしたのです。ナイトは、これがなければ、今のナイキは存在していないかもしれないと語っています。
 ナイトは、大学生から「社会は、子どもたちの未来にとって悪い方向に向かっているのでしょうか」と質問を受けると、「1962年に見た荒廃した日本だ。瓦礫や廃墟から(あのような)賢い人間が生まれたのだ」(『SHOE DOG』より)と返答するそうです。
 挑戦し続けることの重要性を訴え、「唯一失敗していけないのは、最後だけ」という名言を残しています。ナイトは近年、自身の財産のほとんどを寄付しています。
 

※詳細は2019年1月号本誌にて。
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