友好の橋 2018.06

ロシア連邦
Russian Federation

マトリョーシカの起源は箱根の組子式七福神こけし?
箱根の名産品がロシアの代表的民芸品に生まれ変わる

 古都・鎌倉には「コケーシカ」というお店があります。日本のこけしとロシアのマトリョーシカという民芸品が並べられ、両方に会えるとして愛好家に人気です。このふたつの民芸品には、歴史のロマンを感じさせる深いつながりがあります。

★モスクワの博物館に今も残る

 カラフルな色をまとった少女の置物から次々と小さな人形が出てくるマトリョーシカ。誕生したのはおよそ110年前に遡ります。明治維新から間もない1890年代、箱根の塔ノ沢にロシア正教の避暑館がありました。ここに来ていたロシア人が入れ子のこけし(組子式七福神こけし)を持ち帰ったのがマトリョーシカの起源になったというのです。
 当時、マーモントフという貴族がモスクワ近郊につくった芸術家のコミューンで、指導的存在であった画家のマリューチンと、木彫家で轆
轤師のズビョードチキンが、日本から持ち込まれた組子式七福神こけしを元に最初の8ピースからなるマトリョーシカを作ったそうです。残念ながら第一号のマトリョーシカは残ってはいませんが、そのサンプルを改良した初期の歴史的マトリョーシカは、今もモスクワ郊外のセルギエフ・ポサード美術玩具博物館に、当時箱根から持ち込まれた七福神こけしと共に収蔵されています。

★パリの万博で評判、有名になる

 もっとも、マトリョーシカの起源について、ロシア人の中には別の説を唱えている人もいます。たとえば、ロシア正教に古くからある木製のイースターエッグを作る轆轤技術がマトリョーシカに発展したというものです。ただ、このイースターエッグの入れ子細工というのは、ほとんど見かけることはないそうです。
 また、マトリョーシカの歴史を記したロシア語の文献には、七福神こけしのことを「Fukuruma」と表記していることについて、こけし研究家の沼田元氣氏は「福禄寿」(七福神の中の神で、組子式こけしでは一番外側の大きな神様)と「達磨」が混同され変形したのかもしれないと述べています。
 いずれにせよ、その後マトリョーシカは1900年のパリ万博に出品されるや大評判となり、一躍世界中で知られるようになると同時に、ロシア民芸運動の大きな原動力となっていきました。江戸時代から箱根の名産品として伝統的に作られていたこけしが、はるか遠いロシアの民芸運動に刺激を与えていたとは、まさに歴史のロマンです。

※詳細は2018年6月号本誌にて。
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