友好の橋 2018.03

スウェーデン王国
Kingdom of Sweden

陸軍武官の妻から戦後は「ムーミン」の翻訳者へ
60歳を過ぎてスウェーデン語文学の翻訳に従事した小野寺百合子

 
 今年の大学入試センター試験の問題に出題され、話題を呼んだ「ムーミン」。作者のトーベ・マリカ・ ヤンソン(1914─2001)はフィンランド人でありながら、父親はスウェーデン系フィンランド人、母親はスウェーデン人だったことから、母国語はスウェーデン語でした。

★戦時中は夫の諜報活動を手伝う

 彼女が世に送り出した“ムーミン・シリーズ”は世界中で親しまれていますが、日本で紹介されたのは小野寺百合子さん(1906〜1998)の翻訳による『ムーミンパパの思い出』『ムーミンパパ海へ行く』が最初です。小野寺さんは60歳を過ぎてからスウェーデン語文学の翻訳に従事、ヤンソン以外にもエルサ・ベスコフ、バルブロ・リンドグレンらの作品を翻訳しています。
 昨年の夏、ムーミンの翻訳者のイメージとはまったく異なる小野寺さんの姿がテレビで放映されました。NHKの終戦スペシャルドラマ『百合子さんの絵本 陸軍武官・小野寺夫婦の戦争』です。
 小野寺さんは太平洋戦争が始まる前年、在スウェーデン日本公使館付きの駐在武官としてストックホルムに赴任した夫の信さんに同行し、そこで5年間を過ごしました。現地で夫妻が行なっていたのは、諜報活動。つまり、スパイ活動です。
 ロシア語とドイツ語が堪能な夫が入手した機密情報を暗号化して東京に打電。東京から送られてきた暗号電報を解読して夫に伝えるという日々でした。小野寺武官は、41年10月には当時日本が同盟を結んでいたドイツが対ロシア戦で劣勢であるという情報を掴み、「日米開戦不可ナリ」(アメリカと戦争をしてはいけない)と30回以上も打電し続けました。しかし、この貴重な情報は無視され、日本は真珠湾攻撃から太平洋戦争へ突入してしまったのでした。

★ 歴史に埋もれた事実を公にする

 戦時中のスウェーデンでの経験については無念の思いが多かった小野寺夫妻ですが、それでも戦後すぐに立ち上げた日瑞貿易会社を通してスウェーデンや北欧諸国と交流を持ち続けました。小野寺さんも得意の語学力を生かして、スウェーデン語文学作品を次々と日本に紹介していったのです。戦後40年の節目、1985年には『バルト海のほとりにて─武官の妻の大東亜戦争』(共同通信社)を上梓、歴史に埋もれた貴重な事実を公にしたのでした。

※詳細は2018年3月号本誌にて。
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