友好の橋 2017.07

アメリカ合衆国
United States of America

日本人にはじめて英語を教えたアメリカ人

幕末、通詞として活躍した森山栄之助らを育てる

 1853年7月8日、浦賀沖に突如姿を現した黒船、ペリー艦隊によって日本は開国を迫られました。その際、ペリーと結んだ日米和親条約の交渉を皮切りに、ほぼすべての条約締結に関わった一人の通詞(通訳者)がいます。森山栄之助(1820─1871)です。
 長崎のオランダ通詞の家に生まれ、オランダ人よりもオランダ語を上手に喋ると言われたほど語学に堪能だった森山は、英語をラナルド・マクドナルドから教わりました。彼こそ、英語圏出身者としてはじめて日本人に英語を教えたとされる人物です。

★捕鯨船に乗り漂流民装い日本に入国

 ラナルドはスコットランド人の父、そしてネイティブアメリカンの部族長を母にもつ混血児でした。子供の頃、母親の親族から自分たちのルーツは日本人だと教えられて信じ、当時鎖国中だった神秘の国日本に憧れを抱いていました。やがて日本語を学んでみたい、日本の事情を知りたいと思うようになり、4年間ミッション系の寄宿舎学校で学んだ後、勤めていた銀行を辞め日本行きを決意します。
 ニューヨークから捕鯨船プリマス号に乗り日本を目指しました。当時鎖国中だった日本では、密入国者は死刑にされると聞いていたため、小船に乗り換えて漂流民を装い、1848年、焼尻島(やぎしりとう)に上陸。そこから利尻島に上陸し、アイヌ人と10日ほど過ごした後、長崎に送られて尋問を受けます。このとき通訳を務めた人物の一人が森山栄之助でした。
 森山は長崎奉行に、ラナルドから英語を学ぶ許可を願い出て、それが認められます。日本で初めての英語圏出身者による英会話レッスンです。森山のほか13名が、ほぼ毎日、座敷牢で格子を隔ててラナルドから英語を学びました。初めに朗読して見せた後、生徒たちに音読させ、その発音を修正させるスタイルでした。ラナルドは彼らとの交流を楽しみにして、自身も日本語の単語帳などを作り、日本語を学んでいたようです。

★アメリカの対日政策にも影響与える

 1849年、ラナルドは米艦に引き取られ、日本を去ります。ペリー率いる黒船がやってきたのはそれから4年後で、森山は、ほぼすべての海外との交渉、条約締結の場で大きな功績を残していきました。ラナルドは日本について、日本が未開社会ではなく高度な文明社会であること、日本人の美徳として、自然を愛する心、人間性、誠実さ、純粋無垢などを挙げており、その後のアメリカの対日政策の方針に影響を与えたとされています。

※詳細は2017年7月号本誌にて。
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