友好の橋 2017.06

ロシア連邦
Russian Federation

難民となった子供約800人を親元へ送り届ける

90年以上も歴史の闇に埋もれていた勝田銀次郎の英断

1918年、ロシア革命の翌年、首都サンクトペテルブルクは深刻な食糧難となり治安も極度に悪化。心配した親たちはウラル方面に子供たちを疎開させましたが、そこで内戦に巻き込まれます。難民となった子供たちは、アメリカ赤十字社に救出され、ウラジオストクで手厚い保護を受けました。

★3カ月かけ地球を一周する航海の末

 1920年、戦火の拡大によってそこも危険が迫ってきたため、アメリカ赤十字社は子供たちを親元に移送することを決め、関係各国の船舶会社に頼みましたが、名乗り出るものがいません。目的地近くの港湾に多くの機雷が残っていたこと、約800人もの子供たちを長期の航海で輸送するリスクなどを考えて誰もがしり込みするなか、神戸の勝田汽船がその依頼を受けて立ちました。
 社長の勝田銀次郎はのちに衆議院議員、神戸市長なども務めた人物で、私財を投じて貨物船「陽明丸」を客船に改造、1920年7月、ウラジオストクへ派遣します。当時は日露戦争の記憶も新しく、ソビエト新政権も日本を敵視していましたから、この任務を引き受けたのはまさに英断でした。
 当初、日本の船に乗ることに戸惑いがあったロシアの子供たちも、立ち寄った北海道室蘭の小学校で大歓迎され、航海中も親身に世話をされ、心もほぐれていったようです。こうして船はその後3カ月をかけ、サンフランシスコ、パナマ、ニューヨークを経てフランス、さらにサンクトペテルブルクの親元へ無事送り届けられたのでした。

★子孫のロシア人女性から知らされる

 いまから90年前、革命と内乱でシベリアに取り残されたロシアの子供、約800人を船に乗せ、地球を一周する大航海の末に親元に送り届けたこの快挙は、その後長く歴史の闇に埋もれていました。ところが2009年、訪露した日本人女性がサンクトペテルブルクで出会ったロシア人女性からこの話を聞かされ、公になりました。
 彼女の祖父母は、まさに「陽明丸」によって救われたのでした。彼女はまた、祖父母の遺志を継ぎ、勝田銀次郎と「陽明丸」の船長のお墓を探していることを告げ、協力を依頼しました。帰国後、日本人女性は二人のお墓を探し出し、ロシア人女性は11年に来日した際、墓参し、感謝を伝えました。
 立場や利害を超え、博愛精神に基づき子供たちを助けた勝田銀次郎と「陽明丸」の物語は、これからも語り継がれていくことでしょう。

※詳細は2017年6月号本誌にて。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る