友好の橋 2017.01

英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland

日本の民芸運動に共感したバーナード・リーチ

「西欧と東洋の結婚」を追い求めたイギリスを代表する陶芸家

★ 朝廷文化の粋をいまに伝える桂離宮

20世紀イギリスを代表する陶芸家バーナード・リーチ(1887─1979)は、4歳までを日本で過ごし、後に香港を経てイギリスで教育を受けました。当時のジャポニスムの影響もあり、小泉八雲やホイッスラーの書籍を読んでは再び日本へ行くことを熱望していた彼は、詩人・高村光太郎と出会い、その願いが叶います。

★ 濱田庄司を助手に、西欧初の登り窯
 
22歳で再来日したリーチは白樺派のメンバーと親交を深めます。とりわけ、中心人物
の一人である柳宗悦が起こした民芸運動に強く共感し、ともに運動を推進するのです。
民芸運動とは、庶民が使う日用雑器、庶民が使う無名の工人による日用品などの中に美しさを見出し、その芸術性を認めようとする運動で、これがリーチの創作活動や考え方に大きな影響を与えました。
 来日当初は版画や絵画などに取り組んでいましたが、やがて日本の陶芸の楽焼に出合い、すぐさま弟子入りし、毎日工房に通い始めました。陶芸を学ぶにつれ、茶や禅、中国や韓国の文化にも触れ、広く深く東洋文化への理解を究めたリーチは、柳が提供してくれた千葉県我孫子の柳邸内に、自らの窯を持ち、本格的に陶芸家の道を歩むようになります。
 我孫子では、のちに人間国宝にまでなった陶芸家の濱田庄司と出会い、2人はすぐに意気投合。1920年、リーチは濱田を助手に迎え、イギリス南西端に位置するセント
・アイヴスで、「リーチ・ポタリー」を開きます。西洋で初めての登り窯です。

★ イギリスでの民芸運動を推し進める

 柳宗悦とリーチの友情は一生続きました。柳が亡くなった折には、「Unknown Craftsman」という本を出版し、彼の死を追悼しています。濱田庄司とも師弟関係を超えて、深い友情を晩年まで育み、濱田の活動拠点である益子(栃木県)をたびたび訪問しました。
 リーチの作品は、イギリスの陶芸に新たな美の価値を生み出しました。伝統的なウェッジウッドやロイヤルダルトンなどとは異なる素朴な美しさこそが彼の作品の真骨頂であり、リーチは同国の民芸運動を推し進めたと言っても過言ではありません。
 彼の生涯のテーマは、彼の書籍にも記されている通り、「西欧と東洋の結婚」で、そこに日本の民芸運動を担ってきた重鎮たちとの深い友情があったのです。

※詳細は2017年1月号本誌にて。
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