友好の橋 2016.03

アメリカ合衆国 United State of America

世界を飢えから救った「緑の革命」の背景に日本の農学者

半世紀前、危惧されていた世界の食糧危機をみごとに救った「緑の革命」
その主役を果たした小麦は稲塚権次郎の開発した「農林10号」が親品種

 1960年代、世界の人口が食糧生産量を上まわり、将来未曾有の食糧危機がくると懸念されていました。実際、65年から66年にかけてインド、パキスタンで大凶作がおこり、数千万人という死者を出しました。
 しかし、それ以降、世界規模の食糧危機はおきていません。食糧生産が飛躍的に伸びたからです。

★「緑の革命」のルーツ「農林10号」

 この食糧生産の飛躍的な増加は「緑の革命」と呼ばれ、中心的役割を果たしたアメリカの農学者ノーマン・ボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を受賞しました。
 ボーローグ博士はメキシコで品種改良した小麦の種を数万トン単位で飢えに苦しむインド、パキスタンに送り、収穫量が一気に倍増したのです。パキスタンでは自給自足が可能なレベルにまで生産量が急増しました。
 博士はほかにも世界50カ国以上にこの種を送り、世界の小麦の生産量は約3倍に増加。この小麦は「奇跡の小麦」と呼ばれました。当初、この奇跡の小麦がどこからきたのか謎に包まれていたのですが、日本で生まれた「農林10号」が親品種であるとボーローグ博士は明かしたのでした。
 稲塚権
ごんじろう次郎(1988年死去)こそ、この「農林10号」を開発した農学者です。それまでのアメリカ産小麦は背丈が大きくて実が少なく、生産量を上げるために密集して植える必要があったうえ、数年に一度は土地を休ませなければならない欠点がありました。一方、戦時中に稲塚が開発した「農林10号」は背丈が半分、よけいな栄養分を地面から吸い取らないので土が痩せず、生産量も遥かに高いという素晴らしい品種でした。

★病気にも強い「最強の小麦」誕生

 戦後、戦勝国として日本にやってきたアメリカは有用と思われる農作物の種子を収集して本国に送りました。「農林10号」もそのひとつで、アメリカの品種とかけ合わせ栽培すると、米国の小麦生産が一気に4倍に跳ね上がったのです。さらにメキシコで小麦の研究をしていたボーローグ博士のもとで改良されるや、病気にも強いという最強の小麦の品種が誕生したのでした。
 いま、世界の人口を養っている小麦は数百種類に及びますが、それらはことごとく「農林10号」の子供たちなのです。ある意味、日本の技術が世界の人々を飢えから救ったと言っても過言ではないでしょう。

※詳細は2016年3月号本誌にて。
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