友好の橋 2016.02

フィリピン共和国 Republic of the Philippines

日本兵を救い出した名曲「ああモンテンルパの夜は更けて」

戦後7年も収容されていた日本兵のもとを慰問に訪れた歌手の渡辺はま子
オルゴールでこの歌を聴いたキリノ大統領は釈放・送還の決断を下した

 フィリピンのマニラにほど近いモンテンルパには、戦後7年を経ても100名以上の日本兵が戦争犯罪者として収容されていました。多くが死刑囚か無期懲役者でした。

★国交ないフィリピンを慰問で訪れ

 しかし、彼らを救い出すことになった一つのエピソードが、戦地の慰問で人気の高かった歌手・渡辺はま子の「ああモンテンルパの夜は更けて」(作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康)にあります。この歌は死刑囚らが望郷の念を込めて作り、後にレコード化されるや大ヒットし、日本中で歌われました。

 モンテンルパの夜は更けて、
 つのる思いにやるせない、
 遠い故郷忍びつつ、涙に曇る月影に、
 優しい母の夢を見る。

 燕はまたも来たけれど、
 恋しわが子はいつ帰る、母の心は一筋に、
 南の空へ飛んでいく、
 さだめは悲し呼子鳥。

 モンテンルパに朝が来りゃ、
 昇る心の太陽を、胸に抱いて今日もまた、
 強く生きよう倒れまい、
 日本の土を踏むまでは。

 1952年、当時まだ反日感情が厳しく、国交もなかったフィリピンを渡辺はま子は訪れ、刑務所で慰問ステージを行ないました。日本のヒット曲をいくつも歌った最後にこの歌を披露したところ、全員が感極まり涙を流しての大合唱となったのでした。

★キリノ大統領の政治決断を後押し

 この出来事から約半年後の7月4日、奇跡が起こりました。「全員を釈放し、日本に送還する」との大統領令がくだされたのです。さかのぼること2カ月、キリノ大統領のもとにオルゴールに収録されたこの歌が届けられ、哀愁を帯びた曲に大統領は静かに聴き入り、歌の意味を尋ねたのでした。
 キリノ大統領は戦時中、妻と娘を日本兵によって失っており、日本人を憎んでいました。対日感情が厳しいなか、このような政治決断の背景には何があったのか。「将来の比日関係を見据え、対日憎悪の連鎖を断つことの大切さをフィリピン国民に示し、日本国民にはフィリピン人の痛みへの理解を促した」と語られていますが、この歌が大統領の英断を後押ししたことは言うまでもありません。

※詳細は2016年2月号本誌にて。
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