友好の橋 2015.9

大韓民国 Korea

ソウルの外国人墓地に眠る唯一の日本人、曽田喜伊智・たき夫妻

戦前戦後、3000人ともいわれる孤児を30年以上にもわたり養育し、
「孤児の慈父」「民族の母」と人々に慕われた曽田喜伊智・たき夫妻

 韓国ソウルにある外国人墓地にはこの国の宗教、教育、医療、言論などの各分野で近代化に尽くした外国人功労者たちが多く眠る。およそ500ある墓のなかで唯一の日本人の墓が曽田喜伊智・たき夫妻である。
 戦前から韓国で保育園を経営していた曽田夫妻は、3000人ともいわれる孤児を30年以上にもわたり養育した。戦後まだ激しい反日感情が溢れる時代であったにもかかわらず、「孤児の慈父」「民族の母」と韓国人から慕われたのである。

★孤児を次々と引き取り、養育に奔走

 曽田が渡韓した理由は、30代で台湾を旅したとき、山中で行き倒れになっているところを韓国人に助けられたからだった。いつか韓国人のためになることをしたいと思い、1905年、38歳のとき韓国に渡った。やがて、「保育の父」と呼ばれ、医師で教育者の佐竹音次郎がソウルに設立した鎌倉保育園の責任者として勤め始める。
 当時の韓国はまだ貧しく、孤児が多かった。曽田夫妻はそうした子供たちを見過ごすことができず、引き取るうちに家は孤児で溢れるようになる。家計はすぐに苦しくなり、古ぼけた荷車を引っ張って、あちこちで子供用の古着や食料を集めるようになった。
 曽田は戦後間もなく妻だけ残して一時、日本に帰国するが、日韓関係が悪化し、李承晩政権は日本人の入国をいっさい認めなかったため、韓国へ戻ることができなくなってしまう。その間、妻のたきが亡くなるが、政府は「社会葬」として丁重に執り行なった。そして大臣、知事、市長らは弔辞で「慈母」「聖なる天子の化身」と彼女を誉め称えた。

★日本人として初めて文化勲章が授与

 60年、朝日新聞に「韓国こそ私のふるさとー故郷へはやる心」と題する李承晩大統領あての公開訴え状が掲載され、日本でおよそ12年間足止めされている曽田の消息が初めて明らかになり、日韓両国で大きな反響を呼ぶ。夫妻に育てられた人々や多くの団体が奔走し、61年の日韓国交樹立前に韓国政府の特別の計らいで韓国に戻ることが許された。
 翌年、元保育園があった場所に建てられた永楽保育園で、園児や保育園出身者、関係者200人以上に見守られて95歳で永眠。韓国の19社会団体が共同で準国葬に匹敵する盛大な「社会葬」を行ない、「全国民は、民族を超えた暖かい心で曽田さんの冥福を祈ろう」というメッセージを発表。そして、韓国政府は日本人として初めて文化勲章を贈った。

※詳細は2015年9月号本誌にて。
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