友好の橋 2015.8

アメリカ合衆国 United States of America

日本の子供たちに人形を贈ることを呼びかけた宣教師の願い

日米間の政治的緊張が高まった1930年代、子供たちの交流を願い
親日家の宣教師ギューリックは「青い目の人形」を贈ることを発案した

 日露戦争の勝利によって満州の権益を握るようになった日本と、中国進出をうかがっていたアメリカとの間で政治的緊張が高まりました。さらに1924年にアメリカで排日移民法が通り、日米関係に暗雲が立ちこめるようになったとき、一人のアメリカ人宣教師がそれを打ち払うアイデアを思いついたのです。
 彼、シドニー・ルイス・ギューリックは、20年以上も日本に住んだ親日家で、「こんなときだからこそ、子供のころからの交流が重要」と、日米親善を願って日本の子供たちに人形を贈ることを米国民に呼びかけました。

★太平洋越えて行った日米の人形

 アメリカ全土から募金が集まり、およそ260万人が協力して一体ずつ手作りの洋服を仕立て、全部で1万2千体以上の人形が27年3月3日のひな祭りの日に合わせて東京と横浜港に到着。ギューリックは、人形の受け入れを親交のあった渋沢栄一に依頼、アメリカから贈られた人形は「青い目の人形」と呼ばれ、親しまれました。
 歓迎式典は皇族、外務省、文部省の役人も集まり盛大に行なわれ、そのときの感想を渋沢栄一は「児童ト共ニ感慨無量」とアメリカに電報を送っています。人形たちは全国の幼稚園や小学校に贈られました。
 渋沢はそのお返しとして、市松人形58体をクリスマスに間に合うように準備します。「青い目の人形」が贈られた小学校の生徒が1人1銭の募金を行ない、人形には客船切符、パスポートだけでなく、鏡や箪笥といったお道具なども添えられました。一体あたり当時の金額で約350円、現在の紙幣価値でおよそ270万円という立派なものでした。

★子孫の手によっていまも交流は続く

 アメリカで人形たちは大歓迎され、1年間、全米各地を巡回展示、その後、各州の美術館や博物館に大切に保管されました。しかし、太平洋戦争が始まると、日本では多くの人形が処分され、いまでは全国で現存が確認されている人形は約330体のみ。
 今年5月30日には、88年の年月を経て、ギューリックの孫のギューリック3世と渋沢栄一の曾孫、渋沢雅英さんが新たに平和と友情を願う人形を交換し合いました。ギューリック3世は1986年に来日し、祖父の業績に感銘を受け、以後、「新青い目の人形」を贈り続けています。また、アメリカでも日本から贈られた人形たちの所在が改めて確認され、修復のために日本に里帰りするなど、いまでも人形の交流は継続しています。
※詳細は2015年8月号本誌にて。
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