友好の橋 2015.7

ペルー共和国 Republic of Peru

 ペルーの世界遺産、マチュピチュ。15世紀にインカ帝国の人々が標高2千メートルを超えるアンデスの山中に築いた「空中都市」は、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」のモデルとされたことでもよく知られ、いまでは年間200万人もの人々が世界中から訪れます。同遺跡を訪れる観光客が必ず立ち寄る麓のマチュピチュ村初代日本人村長として、村の発展に尽くしたのが福島県出身の野口与吉という人物です。

★「7つの職をもつ男」と村人が尊敬

 4月18日、TBSテレビで放送された番組「世界ふしぎ発見!」では「開拓の灯をともせ マチュピチュに村を創った日本人」というタイトルで野口の歩みが紹介されました。1917年、契約移民としてペルーに着いた野内は、首都リマの鉄道会社に勤務。鉄道が完成すると、マチュピチュの高級原木に着目し、材木商として当時まだ4家族しか住んでいなかったマチュピチュに暮らし始めました。
 野内は湧き水を村に引いたり、ダムや発電所を造って村に電気をもたらすなど発展に貢献しました。村で初めての木造建築「ホテル・ノウチ」を建て、1階は郵便局や交番として無償で貸し出すなど、町の中心的役割を果たしたのです。村人は彼のことを「7つの職をもつ男」と呼び、いつも忙しく働き、村人の父親のような存在でした。
 太平洋戦争が始まると、連合国側であったペルーは日本人移民を次々と捕らえ、アメリカの強制収容所に送りました。しかし、村人は身を挺して野内一家を守ったのです。
 終戦後の1947年、記録的な大雨によって川が氾濫し、村は大きな土砂災害に見舞われました。翌年、村の復興のため陣頭指揮をとっていた野内は、村人に押されてマチュピチュ村長に任命され、3年間務めたのでした。

★野内一家の物語は語り継がれていく

 1968年、野内は半世紀ぶりに故郷の福島に帰郷し、親戚らと旧交を温めてペルーに帰り、2カ月後、息を引き取りました。ペルーの家族と200人の村人が見守るなか、野内与吉は愛してやまないマチュピチュの地に骨を埋めたのです。
 野内の次男も父親の遺志を継いで81年から83年までマチュピチュ村長として奉職しています。野内一家の物語は、孫である野内セサル良郎氏によって世に発信されました。本人が生まれる6年前に亡くなった祖父のことを祖母が繰り返し話し、「祖父のようになれ」と言われながら育ったそうです。
※詳細は2015年7月号本誌にて。
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