友好の橋 2015.6

ドイツ連邦共和国

 世界中で高く評価されているマイセン磁器ですが、もともとは今から約300年前、「日本や中国のような磁器を作りたい」という憧れから誕生したのでした。
 大航海時代が始まり、勃興しつつあったヨーロッパでは17世紀、東洋の磁器が大流行し、王侯貴族たちは邸宅や宮殿に磁器を飾りました。当時のヨーロッパには、中国や日本のように純白で薄く、硬く艶やかな磁器をつくる技術がなかったのです。東洋から運ばれてきた磁器は「白い黄金」とも呼ばれ、王侯貴族たちは競って集めました。

★熱狂的に支持された「柿右衛門様式」

 世界で初めて良質の白い磁器が作られたのは中国の隋の時代(6世紀)で、当初は中国の景徳鎮から磁器を買い付けていたのです。しかし、明が滅び清が誕生する戦乱のなかで入手が困難となり、新たな磁器の産地として発展していた日本に目が向けられました。
 ちょうどその頃、肥前(佐賀県)の有田では、陶磁器の表面に赤や黄、青、緑などの色絵具で模様を描いて焼き付ける「色絵」の技法が完成期を迎えていたのです。とりわけ酒井田柿右衛門の、余白を活かして花鳥風月を華麗に描いた明るく可憐な文様は、「柿右衛門様式」としてヨーロッパで熱狂的に支持されたのでした。
 17世紀後半から本格的にヨーロッパの国々に輸出された「有田焼」(伊万里港から輸出され「伊万里」とも呼ばれる)は絶大な人気を博しました。約100年の間に120万個以上の磁器がヨーロッパへ渡ったといわれています。

★アウグスト2世、磁器の生産に成功

 ヨーロッパの王侯貴族のなかで、ことのほか東洋磁器に傾倒したのがドイツのザクセン帝侯アウグスト2世でした。なんとか有田焼に近い焼き物をつくらせようと、若干19歳の錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーを監禁して、白磁器をつくる技術を研究させました。
 試行錯誤を経て、ベドガーは1709年に白磁製法を解明、その翌年に誕生した王立磁器製作所が現在の国立マイセン磁器製作所の起源です。初期のマイセンの製品には「柿右衛門写し」が数多く残っています。
 ヨーロッパで磁器製法が確立すると、日本からの輸出は減っていきましたが、有田焼はその後も発展し続け、世界中の博覧会で数々の賞を得てその名を世界に広めました。1900年のパリ万博では有田焼で有名な深川製磁の作品が最高金賞を受賞しています。

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