友好の橋 2015.5

マケドニア旧ユーゴスラビア共和国

 バルカン半島に位置するマケドニア旧ユーゴスラビア共和国(マケドニア共和国)はかつてユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部でした。1991年に独立、マザー・テレサの生地として世界的に知られています。親日国マケドニア共和国で最も知名度のある日本人といえば、広島の平和記念資料館や東京都庁舎を設計した建築家、都市計画家の丹下健三でしょう。

★国際コンペで丹下チームが一位に

 歴史的にこの地域は地震が多く、63年の大地震では死者約1100人、人口の83%にあたる約15万人が家をなくしました。アレキサンダー大王の時代から残っていた歴史的な建造物も多くが被害を受け、都市の75%が壊滅的な打撃を受けたのです。あまりにも被害が大きく、当時のユーゴスラビア社会主義連邦共和国政府は国連に支援を要請しました。
 そこで首都スコピエの復興都市計画案のコンペが行なわれ、海外からはアメリカ、イタリア、オランダ、そして日本の4カ国が参加。丹下率いる日本チームが見事1位を獲得し、スコピエの復興を担うことになったのです。そのチームの中には、後にニューヨーク近代美術館を設計した谷口吉生や、京都コンサートホールを設計した磯崎新など、新進気鋭の建築家が加わり、現地スタッフとして派遣されました。

★「丹下の街」と表現することも

 震災からおよそ50年、現存するスコピエ中央駅は丹下復興チームのシンボルとなり、人々をびっくりさせたガラス張りの近代的なショッピングセンターも、いまではすっかり町並みに調和しています。こうした復興の歴史を学校で習うこともあり、観光ガイドの中にはスコピエの街を「city of Tange 」(丹下の街)と表現することもあるほど。
 「世界の丹下」といわれ、手がけた建築及び都市計画は、国内外に数えきれないほど存在します。国内建築では、国立代々木競技場、東京都庁舎、国際連合大学など。海外建築では、クウェート国際空港、サウジアラビア王国国家宮殿、シンガポールのUOBプラザなど。
 87年、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を日本人で初めて受賞しました。丹下はこういう言葉を残しています。
 「建築家は、その時々の都合で仕事をするものではない。都市の未来に責任がある」
 スコピエの街はいまも目まぐるしく成長し続けています。
readlink

関連記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る