座標軸 2016.04

向野幾世 奈良大学元講師

つばくらや 母なくなりし 日を思う

4月15日は母の命日である。もう28年も前になる。が、その一瞬のすべてが脳裏にある。まわりの音も色もなくなった一瞬。思えば、私の幼い日々のすべてが母とともに消えた時だったのか。

 のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にいて
   足乳根の母は 死にたもうなり   茂吉

 母の手に「サクラハナ サク」の電報を手渡した日のよろこびはいまも胸にある。遠い昔になってしまったが、大学合格の通知だった。その私が「ハハ シス」の電報を手にする日があろうとは。その5日前の1988年4月10日、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋開通記念の放映があった。テレビを通してふるさとを見た。架橋の四国側の脚は、私の生まれ育った町に立った。
 かつて連絡船で渡った瀬戸内海の島々の風景がたった15分間に縮められ、車窓をすぎていく。潮の香も海をわたる風の匂いもなく、まして出港を告げるドラの音も、母と私をつないだテープのするすると減る感触と別れの感傷もない──。祝賀ムードのなかで、私はふるさとを失っていた。
 ふるさとは遠くにありて思うものか。その思いをあざ笑うが如く、開通5日後の列車に乗って帰郷することになろうとは。

※続きは2016年4月号本誌にて。
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