座標軸 2015.8

向野幾世 元奈良大学講師

戦後70年、疎開児童は今

 疎開児童も
 お爺さんになりました
 疎開児童も
 お婆さんになりました
 信じられないときの迅さ
 飢えて 痩せて 
 健気だった子らが
 乱世を生き抜くのに
 せいいっぱいで
 生んだ子らに躾をかけるのを忘れたか(略)
 (茨木のり子「疎開児童も」)

 70年前の8月15日、19歳の茨木のり子は敗戦の放送を学徒動員の海軍療品廠で就業中に聞いていた。同じ放送を、9歳の私は疎開していた農家の庭先で聞いた。茅ぶきの大屋根の家は昼なお暗く、そこに大人たちが集まっていた。ただならぬ雰囲気でラジオの前に正座し、雑音ばかりの音のなかからある人の声を聞きとろうと押し黙っていた。天皇陛下の終戦を告げる声、それが玉音放送だった。
 あのときの異様な雰囲気と光景は記憶にしっかりとある。戦争の記憶は、その人の年齢によりさまざまだろうが、一様なのは敗戦による占領下で日本中が貧困と飢えのなかに放り出されたこと、お腹を空かして子供らは焦土のストリートチルドレンに、田舎の子は野ザルさながら野山をうろつき、手当たり次第に食べあさった。

※続きは2015年8月号本誌にて。
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