時代に咲いた花 2018.02

ルーシー・モード・モンゴメリ(下)

名作『赤毛のアン』が誕生して一躍人気作家に
つらい現実に追い詰められながら創作を続けた

 学校で教鞭を執りながら作家を夢見ていたルーシー・モード・モンゴメリ。その道のりは平坦ではありませんでした。1898年には祖父が急死し、祖母の世話をするため教師を辞めざるを得ず、以降13年間をカナダのプリンス・エドワード島キャベンディッシュの小さな世界で過ごします。
 老いて気難しさが増した祖母、家事と雑事にあけくれる暮らし。退屈な日々を救ったのは、空想の世界、そして尽きない創作欲でした。小さな農場、海岸への小路、教会……見慣れた景色の中を歩くときでさえ、モードは自然の移り変わりを繊細に感じ取り、想像の翼を伸ばして心に浮かんだ物語を紙に書き写していきました。
 この頃には原稿も売れるようになり、少なからぬ収入をもたらしていました。1902年には30作品が新聞・雑誌に採用され、編集者からの依頼で書く機会も増えましたが、新進作家として知られるようになったことを誇りに思う反面、雑誌の趣向に合わせて書く「金儲けのための作品群」ではなく、文豪たちに並ぶような偉大な文学作品を書くことを熱望するモードは、その狭間で葛藤するのでした。
 
 30歳近くまで独身だったモードには、将来への不安もありました。過去には情熱的な恋愛も経験し、一度は婚約もしたものの結婚には至らず、今では祖母への義務感から家を離れることすら叶わないように思えました。
 才能や精神に男女の違いはないとしながらも、模範的な妻・母となることが女性の最も重要な役割とされていた時代、作家としての大成を願いながら結婚も切実でした。
 そこへ現れたのが長老派教会に就任したユーアン・マクドナルド牧師。同じスコットランド系で、聖職者としての地位を確立しており、結婚相手としては申し分ありませんでした。1906年、2人は内密に婚約を交わし、モードの祖母が他界するまで5年の婚約期間を経ます。

※続きは2018年2月号本誌にて。
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